いちごレター

「飯塚双葉さんの長寿を祝う会」に参加しました

2017年7月15日

7月15日、私と同時期に市議会に初当選され、3期12年川崎市議会議員を勤めた「飯塚双葉さんの長寿を祝う会」が川崎区で開かれ、参加しました。

170715--飯塚双葉さんの長寿を祝う会で(前列左が飯塚さん)今年84歳になった飯塚さん、夫さんとともに参加され、飯塚さんにゆかりのある方々がたくさんあつまり、長寿を祝いました。飯塚さんと私(市古)は、1987年の統一地方選挙でいっしょに初当選しました。

私は、栄養士でしたが、飯塚双葉さんは看護婦の総婦長さんでした。実は私の立候補が決まったとき、病院の有志の方が励ます会を企画してくださったのですが、そのときは飯塚さんも参加してくださり、励ましてくださる側でした。

それが市会議員だった金谷芳恵さんの病が発覚し、急きょ飯塚双葉さんが市議選に出馬することになり、短期日で当選したのでした。切羽詰まっての決意、大変だったことと思います。

当時、共産党の女性議員は大貫和子さんとの3人でした。お2人とも人生経験豊かな「大人」の女性議員で、不作法な私はたくさんのことを学びました。飯塚さんは、いつでもどんなときでも背筋をピン伸ばし、その姿は堂々とし、凛としていました。

特に公害をなくす取り組み、深刻だった看護婦不足問題を養成・定着・再就職という3本柱で推進すること、高齢者問題では特養ホームの整備や障がい者の施策の充実などに取り組まれ、当時大問題になった川崎縦貫高速道路第一期工事をめぐり、立ち退きの対象となる方々がよく飯塚さんを訪ねて控え室に見えて、親身になって相談に乗っていた姿が鮮明に思い出されます。

170715-飯塚さんの長寿を祝う会に集まったたくさんの人たち看護協会からも市議会の飯塚さんの存在は一目置かれていました。3期務めて、きちんと後継者にバトンを渡して潔くやめられました。辞めたあとは、地域に戻り、様々な活動に参加され、駅頭宣伝にも欠かさず出ていらしたと言う話に、どれだけ励まされたかわかりません。日本共産党員としての党派性の高さはいつまでたってもお手本です。

飯塚さんは、今介護が必要になっていますが、夫さんに支えられて、ご自分が歩んできた84年間を振り返りました。看護婦として、助産師として、当時の岡田久医師とともに、貧しさからくる病気との闘い、公害の患者さんとともに闘ったことを感動的に語り、会場からはすすり泣く声がありました。

飯塚さんのお人柄と常に前を向いて困難を切り開く不屈性、やさしさが滲み出る長寿を祝う会でした。長生きしてくださいね。