活動レポート

“道徳の教科化”の学習会に参加しました

2017年5月13日

5月13日夜、「道徳の教科化で、教育全体をどう変えようとしているのか」――今の道徳と道徳の教科化とは、どこがちがうのか――「教科書を考える川崎市民の会」が主催する学習会に参加しました。

170513-道徳教科化学習会講師は「子どもと教科書ネット21」代表委員で元大学教員の鶴田敦子先生でした。来年から小学校、2019年から中学校、そして高校でも規範教育の科目設置が2023年から実施されます。

道徳とは、「個人的側面として個人の生き方、個人と他人との関係のあり方」、「社会的側面として社会的存在の人間のあり方としての社会規範」があり、学習指導要領でもっとも多い内容は、社会側面であるといいます。

個人的な側面はとやかくいう必要はありませんが、学習指導要領道徳は東京新聞でも「戦前、皇国の臣民が守るべき徳目として、明治天皇の教育勅語をトップダウンで敷いた構図をほうふつさせる」と言わしめたもの、といいます。

鶴田先生は、新しい道徳では「押し付けてはいけない・考える道徳・話し合う道徳」と説明するが、実際には押し付けの連続であり、いいことの押し付けはストレスになる、と指摘します。

「個人の良心・生き方に関する事柄を評価するというが、内面は評価できない、評価していいわけがない」ときっぱり。高校での新科目「公共」は全員必修の科目となります。

この科目の概要は自由民主党が公約に掲げてきて、近頃安倍首相が18歳選挙権との関連で、「主権者教育」ということを盛んに言うようになったが、安倍首相が言う「主権者」は立憲主義に基づく主権者ではなく、国家主権に協力する国民を主権者という言葉で高校で教育するということだと、鶴田先生は指摘しました。

そして「公共」を否定し、「公益」「公の秩序」に変更されている。そして、国家の責任を不問にして「みんなで力をあわせていい社会」にしましょう、まさに、自助・共助・互助・公助の考えを高校のときから奨励していると鶴田先生。

稲田防衛大臣が、「教育勅語」にもいい部分がある、と発言したことについて、鶴田先生は「父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦仲睦まじく…」と教育勅語でいっていることについて「教育勅語の前提は、主権は天皇。その全体には男尊女子の思想で貫かれていること。「兄弟」はあっても「姉妹」はない、このような教育勅語を言葉だけとらえて、いまの教育に使うなどとんでもないこと」と話されました。

そして道徳教科の根本的問題として、憲法・教育基本法の「学問の自由の尊重」に反するものであること。子どもの道徳性が問題なのか、それとも見本となる大人や社会の道徳性の崩壊ではないのかと、鶴田先生は命より健在優先の自民党政府の政策やこの最近をみても政治家による人権無視の発言が続くことを指摘しました。

そして、幼児期から国家が期待する人間像にはめていく、国家の人材育成、学校に地域・家庭との協働を深めるなどの次期学習指導要領の特徴について話されました。

さて、私たち市民はどう立ち向かっていけばよいのでしょうか。どのような道徳・教育を求めていけばよいのでしょうか。

道徳は、教科指導においても、態度に結びつくような認識に注目して、科学的であると同時に実生活と結びついているという意味で、現実的な認識を通じて子どもの感情にも働きかける。

人間的な感情や身体的能力、自然や社会を科学的に認識する力を伸ばすなど、真理・真実を追求する過程での価値の発見と自覚、仲間とともに育ちあう喜びを保障することとして、5つの基本的柱を掲げました。

1. 自他の生命と自由を尊ぶこと
2. 学習と労働を大切にし、真理・真実を学ぶこと
3. 主権者としての自覚と活動力を高めること
4. 自然との共生をはかること
5. 平和な世界を希求すること

土曜日の夜の集会でしたが、たくさんの方があつまり、学習しました。この学習会を通じても、安倍政権が森友学園疑惑を総力をあげて隠ぺいを続けている理由がわかりました。森友学園疑惑は、安倍政権の「胆」なのです。

一刻も早く国民の力で退陣させていかないと、未来を担う子どもが不幸になるばかり、ということを実感しました。