いちごレター

私の後継者・市古次郎の政治活動スタート集会が行われました

2018年7月7日

6月30日付で職場を退職し、政治活動に本格的に入った、私の後継者・市古次郎の活動スタート集会が7月7日行われました。

七夕のこの日、地域のみなさんがご近所から3本の笹竹をいただき、たくさんの願いを書いた短冊をつけ、スタート集会を盛り上げていただきました。たくさんの方が参加してくださり、会場はいっぱいになりました。

“闘う現場にトランペットあり”、オープニングは松平晃さんの演奏からでした。その後、ソプラノ歌手・松本良江さんによる私が作詞した「かわさきの母たち」の独唱。コーラス隊による歌の披露があり、会場の雰囲気が盛り上がりました。

「市古次郎さんに期待します」と、3人の方がスピーチをしてくださいました。心のこもったスピーチでした。

その後、連帯のあいさつとして、君嶋ちか子県会議員、はたの君枝衆議院議員から、こちらも温かいはげまされるあいさつをいただきました。その後、私から、後継者が決まるまでの経過、市古次郎の紹介などいたしました。

以下、その要旨です。

市古次郎の政治活動スタート集会にご参加のみなさん、本日はありがとうございました。

3人の子どもを持つ普通の働く母親が、予想もしなかった市議会議員という政治家になって、32年という月日が経とうとしています。県会議員だった坂本正広さん、市会議員だった坂田茂さんから、演説のやり方を教えていただきました。

そして何よりも地域や職場の支部、後援会の方々がいっしょに歩き、街頭演説をし、住民のみなさんの要求をお聞きし、その実現のためにともに切り拓く献身的な努力に支えられて、8期連続して議員として活動をすることができました。

私は、改めて支えてくださったすべてのみなさまに、深く感謝を申し上げたいと思います。ほんとうにありがとうございました。このお力を今度は私の後継者にお貸しくださいますようにお願い申しあげます。

私の次男が後継者になるとは、これも少し前までは思いもしませんでした。昨年は市長選に夫が立候補を決意し、まさか、とおどろいたのですが、その選挙戦の記憶も残る状況のもと、こんどは次男の次郎に私自身がバトンタッチすることになろうとは、よほどの家族だと思う方もいらっしゃるでしょうが、決してそうではなく、結果がこうなったということです。

労働強化でいろいろキツイ職場であったにもかかわらず、20年間お世話になった職場はたいせつにしたいと、次郎は、やめるギリギリの6月30日まで、夜遅くまで働き、翌7月1日からあたらしい人生を歩む道に踏み出しました。

7月1日の夜、私たち家族・96歳の母も含めて全員がそろって、食事会をしました。自転車がパンクした次郎は、6年生の息子と歩いて自宅まで帰りました。

帰り道、2人で話したそうです。「パパ、パパのポスター、貼りだしても僕は大丈夫だよ」「でもパパ、もし選挙で落ちたらどうするの」・・・そんな会話をしたことを聞いて、胸が熱くなりました。

子どもたちもパパの決意を一生懸命受け入れ、がんばろうとしているのです。これは絶対、何としても2人3脚でがんばらなければと、改めて決意しています。

次郎が幸区から中原区への移り住んだのは6歳のとき、平間小学校、平間中学校、県立住吉高校と進みましたが、小さいときはゴレンジャーに夢中、いつもキレンジャー(黄色)として飛び回っていました。マンガを描くことが得意でした。

子ども会の少年野球、高校ではラグビー部、運動会では応援団長、まさに体育系の男の子でした。プロ野球選手が夢だった時期もあったようですが、その後、専門学校を出て、自動車整備士として働き、最後はサービス課長として、毎月のノルマに追われるハードな仕事をやってきました。

私は特別に子どもたちに共産党のことを教育したことはなく、自然体できました。しかし今回、「僕がバトンを引き継ぐ」と決意したことは、私の共産党員としての活動を見ていてくれたのだと思うと、やはりうれしいものです。

いよいよ新しい人生に踏み出し、政治活動のあらゆる課題に大きな挑戦をしている日々です。みなさんの現場に行き、生の声を伺うことが何よりの勉強と思います。動きながら勉強をし、学習をしていくことで自分自身を鍛えていきたい、と言っております。

どうぞ、みなさん、声を掛けていただいて、たくさんの現場に足を運ばせて育てていただきたいと思います。